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2020.09.26

緑の分岐点 遠藤純選手

 

「自信を与えてくれたU-20フランスW杯」

 

 狙った的を射抜く精緻な左足と、一瞬で相手の背後に抜け出すスピード。それが遠藤純の真骨頂だ。

 

 サッカーの魅力を教えてくれたのは、地元の福島でコーチをしていた父だった。「周りを生かして自分も生きるための様々な選択肢を、小学生の頃に教わりました」。運動神経が急速に向上する12歳までの“ゴールデンエイジ”に人一倍ボールを蹴り、スキルを磨いた。

 

 2011年、東日本大震災が起きたのは小学4年の時。原発事故の影響で生活が一変し、屋外での練習もできないつらい日々を送る中、日本を勇気づけたなでしこジャパンのW杯優勝が希望につながった。

 

「『自分もいつかああなれたらいいな』と。その気持ちはだんだん強くなって、12年のロンドン五輪を現地で観戦した時に『目指したい』と強く思いました」

 

 

 小学校卒業後は、静岡に拠点を移していたJFAアカデミー福島に進学。6年間の寮生活を通じて心・技・体を磨き、年代別代表でも頭角を現す。夢は具体的な目標になり、15年のW杯では「あの舞台に立ちたい」と思いがふくらんだ。同年U-16代表に飛び級で選出され、翌年のU-17W杯で準優勝。高校3年時の18年に特別指定選手としてベレーザに登録された。

 それは、もう一つの目標が叶った瞬間でもあった。

 

「メニーナのセレクションにも受かっていましたが、(福島から通えないので)寮生活のアカデミーを選びました。いつかはベレーザに入りたいと思いながらプレーしていました」

 

 同年のU-20W杯は大きな転機となった。矢のような速さとテクニックで数多くのゴールを生み出し、世界一に貢献。彗星の如く現れて大会を彩ったレフティーは、目の肥えた海外のサポーターを沸かせ、海外メディアにも取り上げられた。

 

「先発でプレーする楽しさを知り、決勝にも出場できました。あのW杯がなかったら今の自分はないと思えるぐらい、たくさんのことを学んで、自信を与えてもらいました」

 

 その経験が、大舞台での勝負強さに繋がった。最年少でメンバー入りした翌19年の女子W杯では、GL2試合目のスコットランド戦で技ありのアシストを決め、決勝T進出に貢献した。

 

 今季は左サイドバックが定位置になりつつあるが、どのポジションでも「自分にしかできないプレーで結果を残す」。憧れの選手はネイマールだ。敵を欺く華麗なプレーで「そっちなんだ! と騙された感じがあって、見ていて楽しい」。左サイドで縦の関係を組む長谷川唯はそんなプレーができる選手の一人。

 

「唯さんとプレーについて話す中でたくさん学んでいますし、その背中を見て『自分もやらなきゃいけない』と感じています」

 

プレーの幅を広げ、一回り成長したメンタルでチームを勝利に導く。