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2020.11.21

緑の分岐点 村松智子選手編

 

 

「3度の試練を乗り越えた“守備魂”の継承者」

 

相手との間合いを測りながら、勝負の一瞬を見極める。その冷静な判断と、「1対1は絶対に負けない」という気迫あふれるプレーが試合の流れを変える。

 

「DFは気持ちを前面に出して、根性や魂を込めてプレーすることを、イワシさんから学んできました」

 

2007年にメニーナに入団した頃から、身近に岩清水梓という最高の“お手本”がいた。当初はFWだったが、2年目以降はサイドバックにコンバートされ、守備能力を開花させるのに時間はかからなかった。

 

「当時、メニーナの寺谷(真弓)監督は守備で1対1の強さを求めていて、ボールを奪うのが楽しくなり、後ろのポジションが楽しいと思えるようになったんです。その後、センターバックになりました」

 

15歳で出場した2010年のU-17W杯で準優勝に貢献。決勝戦でのPK失敗は、2年後のU-20W杯に向かう強い原動力になった。高校1年生でベレーザに昇格すると、1年目からレギュラーとして活躍し、12年のU-20W杯には飛び級でメンバー入りを果たす。だが、大会直前に右膝全十字靭帯を損傷し、出場を断念。その後、再断裂と半月板損傷も重なり、復帰は14年末にずれ込んだ。

 

「若くて気持ちの浮き沈みが激しかった時に、小林弥生さんがケガの経験談を話してくれたり、一緒にリハビリしていた阪口(夢穂)さんや岩渕(真奈)さんがサポートしてくれて、気持ちよく復帰できました。復帰後はサッカーが楽しいと心から思えました」

 

ケガで離れていた時間を取り戻すように、キャリアは上昇曲線を描いた。15年に5年ぶりのリーグタイトルに貢献、代表に初招集されると、翌16年にはリーグ2連覇に貢献、ベストイレブンにも選出された。しかし、17年夏に左膝全十字靭帯を損傷。右膝とは経過が異なり、全治8カ月の予定を過ぎても復帰の目処は立たなかった。

 

「3度目のケガは、サッカーとは関係ない方の支えも大きかったですね。同じ病院に入院していた人に『サッカーをしているところを見たいな』と言われると、『頑張るしかない!』と思えました。その時に飼い始めた犬のルークも、辛い時に癒してくれました」

 

 

そして今季、3年ぶりに公式戦のピッチに立つことができた。今は、仲間とクラブハウスで顔を合わせて練習場に向かう、そんな当たり前に思える瞬間にも幸せを感じている。だが、最初のケガの時に「いつかセンターバックを組もう」と話し、開幕戦で8年越しの約束を実現させた土光真代が、今は長期離脱中だ。 

 

「真代がいなかったら今ここにいられないと思うほど支えてもらったので、今度は自分がそういう存在になれたら、と思います」

 

今季、6連覇は叶わなかった。だが、村松は度重なる試練を乗り越えたからこそ、逆境には強い。

 

「ビルドアップを磨きながら、守備では体を張って味方にも伝わるプレーがしたいです。センターバックを組んでいる(松田)紫野も絶対にそういう気持ちを持っていると思うので、引き出してあげたいですね」

 

ベレーザ一筋14年。緑のDNAとともに、岩清水から受け継いだ「守備魂」を伝えていく。