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COLUMN

『YOUTHFUL DAYS』vol.12 山口竜弥

プロの厳しい世界で戦う男たちにも若く夢を抱いた若葉の頃があった。緑の戦士たちのルーツを振り返る。

取材・文=上岡真里江

「考えること、工夫すること」ができる少年

サッカー界に限らず、どの世界でも言えることだが、成功する人には「自分で考える」、「工夫する」という共通点がある。困難にぶつかった時、その原因は何か、乗り越えるためにはどうすればいいのかを考え、なりたい自分、理想の自分を手に入れるために何が必要か、必要なものを補う手段は何かを考える。こうした自問自答や成功と失敗の積み重ねによって、人間として、また選手としての器の大きさ、引き出しの数を増やしていく。山口竜弥も、自問自答と研究・工夫によってここまでの道を切り開いてきた。

子どもの頃は後悔が後を絶たないような、無鉄砲な少年だった。クラスでは目立つタイプ。友だちとワイワイ騒ぐのが大好きで、時にはしゃぎすぎて、先生に怒られたことも一度や二度ではなかった。今でも決して忘れられない大後悔がある。小学2年生の時だ。通っていた英語教室の体験学習として、2週間ハワイに行った時に事件は起こった。人生初のハワイ。やんちゃ坊主のテンションが上がらないわけがない。本場の英語はもちろん、見るもの、聞くもの、感じるもの、すべてが新鮮で刺激的で、この2週間を全力で楽しめる喜びで頭も胸もいっぱいだった。初日、最初のイベントは、常夏の島にして『アイススケート』。しかし、ここに悲劇が待っていた。

「楽しくてはしゃぎすぎて、思い切り滑っていたら、転んじゃってというか、事故にあったみたいに壁にバーンとぶつかって……気がついたら膝が血まみれになっていました。助けを呼ぼうにも英語が喋れないので誰も呼べなくて、30〜40分一人で泣き続けていました。その後、病院に行ったら『1カ月ぐらい運動などはできません』と言われて……」。何よりショックだったのは「海には入れますか?」と医者に聞いたら、「もちろんダメ」と言われたこと。「せっかく海に入りに来たのに、その後2週間全く何もできず、ただただホテルから景色を見るだけで終わりました」。ハワイに行きながら、氷上で大ケガという不運。南国らしい思い出は皆無で、今でも“ハワイ”を思い出すたびに「なんで俺はあんなことをやってしまったんだろう」と、激しい後悔とトラウマで胸が痛む。

そんな竜弥少年は、小忙しい小学生だった。保育園でボールを蹴る楽しさを覚え、小学校入学とともにその学校のサッカークラブに加入した。余談だが、当時の七夕の短冊に『K-1選手になりたい』と書くほどのK-1好きだったが、習う環境がなかったためサッカーを選んだという。「今にして思うと、当時の自分に『サッカー選手を選んでくれてありがとう』と言いたい」と、山口は幼い頃の自分に感謝している。

話を戻そう。サッカー教室に通うとともに、前述の英語教室、水泳、習字、硬筆、さらに学習塾と、毎日習い事でスケジュールは埋まっていた。だが、小学生と言えば友だちと遊びたくてたまらない年頃だ。「だから、いかにその隙を見つけて友だちと遊ぶかに全精力を費やしていました」。つまり、どうすれば自分の欲望を満たせるのかを、日々全力で考え、工夫していたということだ。

習い事の中でも、サッカーだけは特別に楽しかった。人数が足りず、小学6年生の時には4、5年生から選手を借りて試合に出るような小さなチームだったが、ボランチとしてパスを出したり、ドリブルで仕掛けたり、自分でシュートを打ったり、「今では考えられない、ファンタジスタ系」(山口)のプレースタイルで活躍した。決して突出した存在ではなかったが、仲間たちと助け合って戦うサッカーが大好きになった。

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