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2019.05.05

オフィシャルマッチデイプログラムWeb連動企画(5/5)梶川諒太

第7回  梶川諒太

 

 

『「この1年でサッカーをやめる」と決意してから』

 

文=上岡真里江(フリーライター)

 

レギュラーとして試合で起用され続けようが、メンバー外が続く苦境に立たされていようが、練習に臨む姿勢は決して変わることがない。人と群れず、感情の波に流されず、常に己と向き合い、黙々とやるべきことをこなす。

 

その甘いマスクとはギャップすら感じる梶川諒太の、一本筋の通った芯の強さにはしっかりとした理由があった。

 

大学1年生の時、究極の決断を決意した。

 

高校からエスカレーター式で関西学院大学へと進んだが、ふと立ち止まった。高校でもプロを目指してはきたが、「自分はプロになるレベルではない」と突如襲い掛かった“現実”に、サッカーへの情熱のすべてを奪われてしまった。夢を見失ったその日から、完全に燃え尽きた状態に陥ってしまった。

 

「『プロにならないなら、何でサッカーをやっているんやろう?』と、自分の中で分からなくなってしまった。それに、1年生でずっとAチームの試合に使ってもらっていたのに、気持ちが入らない。このままでは上級生にも失礼。“ラスト一年”という気持ちで取り組めば、もしかしたらモチベーションも上がるかもしれない」

 

そして、「4年生と一緒に、この1年で自分もサッカーをやめます」。そう、監督、チーム全員に固い意志を伝えた。

 

これまで味わったことのない初めての苦しい胸の内を、両親や、当時一緒に暮らしていた兄にストレートに爆発させた。

 

「こんなに毎日泣いたりすることは、多分もう一生ないだろうというぐらい情緒不安定でした。どうしていいか分からなくて、相談するたびに泣いてしまっていて……」

 

サッカーから身を引く決断を公言していたものの、翻意へ導こうと説得を続ける家族と、その思いに感謝しつつも、「サッカーは無理」とまでに至ってしまった嫌悪感の狭間で、数ヶ月間悩み続けた。

 

その苦しみに終止符が打たれたのが、秋頃だった。

 

全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)が終わり、監督の意向により、その後の試合は引退する4年生のチームで戦うこととなった。それにより最後の試合を、梶川はスタンドから観戦した。

 

目の前で繰り広げられる4年生の必死な戦いぶりを見ているうちに、「4年間続けてきたからこそ、この姿があるんかな」と衝撃が走った。「俺、本当にやめていいんかな?」。次第に迷いが生じた。すでにチームにも、同級生たちにも、今年限りでの引退を伝えている。それでも一緒に観戦していた同級生に、「本当にやめていいんかな?」とこぼすと、「やめんでもいいんじゃない?」と温かい言葉が返ってきた。

 

もう一度やり直すべきか、否か。

 

引退を宣言している手前もあり、葛藤があった。それでも自分の中で再び燃え始めたサッカーへの炎に、嘘はつけなかった。

 

「もう一度やらせてください」

 

批判や断られることを覚悟の上で頭を下げると、「すぐに戻すわけにはいかないが……」と、ペナルティーを条件にサッカーを続けることが許された。

 

4年生が引退した後の約1ヶ月半、ボール拾いや部室の掃除など、マネージャーのような仕事に従事した。だが、心が折れることは一度もなかった。むしろその期間に、一度サッカーから完全に離れたことが、多くのことを気付かせてくれた。

 

「改めて、自分にとってサッカーがどれだけ大切かを思い知らされました。今まで『プロになりたい』という思いだけでやっていましたが、いかに両親や兄に支えてもらい、自由にサッカーができる環境を作ってもらっていたのか……」

 

止めどない感謝の思いがあふれ出し、「自分のためだけではなく、支えてくれている人のためにも、『やる』と決めた以上は、プロを目指してやらなければいけない。絶対に逃げることは許されへん」と覚悟が固まった。

 

そこからは、一切“手を抜く”ことをしなくなった。「やるか、やらへんかの自問自答をした時には、絶対に『やる』ことを選択するようにしてきました」。それは、プロになる夢を叶え、9年目を迎えた今もなお、一度も揺らいだことがない。

 

『努力は裏切らない』。梶川は、この言葉を強く信じている。

 

「この言葉を否定する人もいますが、僕には努力しないと絶対に(その先が)つながらないという確信があります。むしろ、僕の武器はそこだけなのかなと。他の選手と比べてそれほど能力が高いわけでもないですし、身長も高くはないけれど、ここまでプロとして生き残ることができているのは“続ける力”があったからなのかなと」

 

2017年にヴェルディに戻ってきてからも、苦境に立たされるほどに真摯に現実を受け入れ、自問自答を繰り返して乗り越えてきた。

 

「次にもし手を抜いたり、甘える方向に自分が流されるとしたら、その時はサッカーをやめる時なんだと思う」

 

サッカーをやめるか、続けるか――。究極の選択について悩み抜き、「続ける」ことを選んだ男は、誰よりも自分に厳しく、正直だ。

 

だからこそ、梶川諒太は強い。