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2019.06.02

オフィシャルマッチデイプログラムWeb連動企画(6/2)柴崎貴広

第10回  柴崎貴広

 

 

『自分自身の選手像を理解できた2011年の連続出場』

 

文=上岡真里江(フリーライター)

 

苦節19年。「挫折なんて、毎年のようにしていますよ」。


GKは、入れ替わりの少ない特殊なポジションということもあるだろう。何年もの間、試合に出られず、試合はおろか、ベンチにも入れない、紅白戦にも出られない日々を何度も経験してきた。


当然、その時々で「つらい」と思ってきたが、いつしか「原点に戻ると、健康な身体でサッカーをやらせてもらえているという喜びがある。それで何が不満なんだ?」と思えるようになったという。だからこそ、柴崎貴広にとって、充実期こそがターニングポイントだ。


大きな自信を付けさせてくれたのが、2011年だった。2006年に在籍したFC東京時代から公私にわたりお世話になった大先輩・土肥洋一選手(当時)が、試合中にアキレス腱断裂の大ケガを負って長期離脱。そこで、ビッグチャンスが巡ってきた。


「監督のケツさん(川勝良一当時監督)がとにかく怖くて。本当に毎日、練習の時は怒られていたし、試合で失点しても怒られていた。それでも起用してくれたというのが、ものすごく大きかった」


それまでのキャリア10年で通算5試合のみの出場だったが、それを大きく上回る36試合に出場。初めて連続して試合に出続ける中で、「『自分がどういう選手か』ということが本当の意味で分かった」――。



まず、何よりも「それなりにやれる」と自覚できたことが大きかった。2010年までに出場した5試合では勝ったことがなかった。“ゴールを守る”ことが最大任務のGKとしては正直、うしろめたさもあったに違いない。それが、2011年は16勝11分11敗でチームはリーグ5位。


「自分が出ても勝てるんだ」


そう思えると、これまでの練習だけに明け暮れてきた日々の一つひとつがすべて、自信へと変わっていった。「サッカー選手としての、遅めのスタート」と、37歳のGKはこの年を位置付けた。11年目で、本当の意味でプロのGKとして勝負が始まった。


簡単に試合に出られなかった分、出られるようになったことで感じる責任も強かった。「常に100パーセントでやるからこそ、ピッチに立つ資格がある」と、これまで以上に練習や準備を怠らなかった。また、向上心も一段と増した。


「それまでは、『止めればいいでしょ』っていう感じだったのですが、その年ぐらいからはただ止めるだけではなくて、キャッチする、ボールを弾くなど、細かいところが気になるようになって。駆け引きなどの楽しさも感じられるようになってきました」


ミスをしても、すぐに切り替えてドンと構えられるメンタルの強さ、正GKとして追われる立場のプレッシャーも初めて知った。すべてにおいて、これまでとは比にならないほど視野が広がっていった。


最大の収穫は“シュートストップ”という、今でも自身のストロングとする武器を見いだすことができたことだ。当時はサッカー的にも今ほどビルドアップ力を求められてはいなかった上、DFの中心だった土屋征夫選手からも「全部俺がカバーするから、ペナルティエリアからあまり出てくるな。その代わり、中だけはしっかりと守れ」と言われていたこともあり、とにかくシュートを止める能力が求められていた。その中で、柴崎のポテンシャルがより引き出されていった。


そして、2017年。ミゲル アンヘル ロティーナ監督、イバン パランコ サンチアゴコーチとの出会いによって、サッカー観が大きく変わった。


「川勝さん、冨樫(剛一元監督)さんは、僕ができることを求めてきたけど、ロティーナ監督やイバンコーチは、自分たちが求めていることを徹底的にやらせる感じだった」


GKもポゼッションに加わるスタイルだっただけに、これまではそれほど強くは求められてこなかった足下の技術を、フィールドプレーヤー並みに必要とされた。他にも、パンチングの方向、「◯◯はするな」、「こういう場合はこうしろ」などの細かな決まりごとやコンディショニング面に至るまで、要求されることが多い中で全試合フルで起用されたことは、かつてない喜びだった。


「ゴールキックから戦術が始まっていましたし、そのパターンが何個もある。それを、試合当日になって『今日はこれでいくから』と、突然変えたりする。『こういうスタイルもあるんだなあ』と本当に勉強になりましたし、毎日の練習もとても楽しかった。監督やコーチの存在がこんなにも大きいのだと改めて思いました。もっと早く二人に出会っていろいろなことを教えてほしかった。そして、もっと現代的なGKになりたかったです。若い頃からこういうプレーができたら、きっと、もっと違った世界が見られて楽しかっただろうなあ」


一人のプロサッカー選手として、心から無念そうに嘆く。ただ、「2年間でしたが、一緒にできたおかげで、選手としてもう一段成長できたことは確か」だと確信している。


昨季、今季と試合出場は果たせていないが、まだまだ“欲”がとめどなく溢れてくる。


「この歳になっても、もっと上手くなりたいし、試合には出られなくても、日々サッカーで感動することは少なくない。忘れられないのは、2017年のリーグ最終節徳島ヴォルティス戦。あの、(ラインダンスを踊った)ゴール裏の景色がものすごく良かった。またああいう中でやりたい。そういうチームにしていきたい。僕、欲張りなんです」


先日、試合観客動員のためのチラシ配りをした際、宿敵FC東京のサポーターから声を掛けられた。「ヴェルディにJ1に戻ってきてほしい。ダービーでブーイングしたいからさ」。その言葉に、心底励まされ、心を掴まれた。


「なんとかもう一度、いい時代に戻したい。ヴェルディは、J1にいるべきです」


『partido a partido』。1試合1試合。スペイン人恩師の精神を胸に、精魂燃え尽きるまで、貪欲に進化を目指し続ける。