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オフィシャルマッチデイプログラムWeb連動企画(7/20)平智広

第13回  平智広

 

 

『屈辱からの逆転勝利でヴェルディへ復帰』

 

文=上岡真里江(フリーライター)

 

“ヴェルディのアカデミー出身”と言えば、サッカー界ではエリートと目される。平智広もその一人だ。

 

ジュニア、ジュニアユースで可能性を見出され、ユースで原石を磨かれる。その間に輝きを放つことができた選手は世代別代表に選出され、一目置かれる存在に。クラブの中でも、二種登録、そしてトップ昇格と、前途洋々のレールが用意されていく。現在のチームで言えば、河野広貴、井上潮音、渡辺皓太、藤本寛也らがその代表だ。

 

だが、残念ながら平には、そのレールは敷かれていなかった。それでも彼は今、確かに“ここ”にいる。

 

自らの手で古巣凱旋への道を切り拓いた。ユース年代からアカデミーの門をくぐるも、トップ昇格を勝ち取ることはできなかった。進学した法政大学では1年時から試合に出場し、3年時までは充実した日々を送っていた。ところが、4年時に状況が一変する。出場機会が激減し、特に後期リーグ戦では「ほぼ出ていない」ほど試合から遠ざかった。ただしこれは平だけに限らず、4年生全体に対する当時の監督の方針だったという。

 

「自分たちの代がだらしないというのも確かでしたし、下の代のほうが伸びしろが大きいというか、いい選手が多いと監督が見ていたんだと仕方ない部分はありました」

 

とはいえ、将来を左右する大事な時期に試合でアピールできず、逆に後輩が試合に出ているのをメガホンを振ってスタンドから応援しなければいけないのである。「サッカーに向き合えず、4年生同士で傷の舐め合い的な感じになっていた時期もありました」。何ともいえない屈辱だった――。

 

 

だが、そのまま堕ちていくわけにはいかなかった。「このまま試合に出られないで終わるのは嫌だ。サッカーを続けたい」。自分の気持ちに正直になると、「腐ってる場合じゃない」。早速行動を開始した。

 

真っ先に頼ったのはヴェルディだった。夏頃にヴェルディの練習に参加させてもらえるようになると、当時のトップチームコーチだった秋田豊氏との出会いが待っていた。そしてこれを機に、人生が動いていく。

 

当時のヴェルディは、監督の方針によりレギュラー組とサブ組がはっきりと分かれていたこともあり、練習生の平たちを熱心に指導してくれたのが秋田コーチだった。同じDF出身として、平のポテンシャルを高く評価。「獲りたいと思っている」と同年11月に監督就任したFC町田ゼルビア(当時JFL)にスカウトされた。平に迷いは一切なかった。時期こそギリギリではあったが、申し分のない進路先であった。

 

さらに恵まれていたのが、ヴェルディで直に指導を受けていただけに、開幕から主力として起用してもらえたことだ。「試合を重ねながら成長できたことが大きかったと思います」。また日々の練習の中で、“秋田豊”という元日本代表DFから、ヘディングやアジリティー、その他、DFとして必要とされる細かな部分を吸収できたことで、プレーの幅と自信を高めていった。

 

そして2016年、ヴェルディへの移籍が決まった。

 

今、こうしてユース時代に憧れていたヴェルディのトップチームで、自分が主力として試合に出続けられている現実に、改めて思う。「ここがすべてではない」のだと。

 

「大学生までは、どうしても自分が関わっている中だけを見てしまいがちで、『ここでダメだったら、もう終わりだ』と、絶望的な気持ちになることが何度もありました」

 

だが、「ユースでダメ、大学でもダメでも、町田では必要とされました。そんな風に、一つがダメでも、また違う景色があるということを、あの2年間で学べました。諦めず、コツコツとやり続ければ、成長できるし、必ずどこかで誰かが見てくれている。自分を必要としてくれる場所がある。大事なのは、そのための準備をしっかりとすることだと思います」。

 

これは、サッカーだけに限らない。人生においても同じだと受け止める。「ここがすべてではない」、「誰かが見てくれている」。そう思うことで勇気をもらい、これから何事にもチャレンジしていく。