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オフィシャルマッチデイプログラムWeb連動企画(8/18)澤井直人

第16回 澤井直人

 

 

『憧れの存在・永井氏との出会いが運命を変えた』

 

文=上岡真里江(フリーライター)

 

端から見れば、あまりに恵まれたサッカー人生に映るかもしれない。

 

小学生から東京ヴェルディの育成組織に所属し、ジュニア、ジュニアユース、ユースと順調に才能を伸ばし、2014年にトップ昇格を果たした。そのプロ1年目の途中に、「ジュニア時代から見ていた」という憧れの存在・永井秀樹(現東京V監督)が加入。薫陶を受けた。

 

「僕のサッカー人生の中で、永井さんとの出会いが一番大きいです」

 

忘れもしない。当時、2種登録だった1つ下の中野雅臣と一緒に練習後、自主練習をしていた時のことだった。

 

「永井さんから声を掛けられ、『それじゃ上手くならないから、もっとこういうやり方でやったほうがいい』とアドバイスをもらった。それから毎日自主練習に付き合ってくれたり、サッカー面だけではなく、私生活やヴェルディに対する思いなど、とにかく“プロフェッショナル”というもののすべてを教わりました」

 

1年目から25年間、日本サッカー界とヴェルディの黄金期を牽引してきた“レジェンド”の一人から、長きにわたりプロサッカー選手として生き残るためのメソッドを吸収できた価値は計り知れない。

 

中でも、プロキャリアを重ねれば重ねるほど痛感させられている教えが、「止める、蹴る、の基本技術の重要性」だ。6年目を迎えた今でも、練習後の止める、蹴るの練習は絶対に欠かさない。

 

 

「永井さんから言われるまでは、改めて基本練習だけを繰り返しやることはありませんでした。だから、今以上に全然ボールも収まらなかった。でも、改めてやってみると、『マジでヘタなんだな』と自分で思い知りました。1年目に『技術は錆びてくるから、毎日継続してやりなさい』と言ってもらえて本当に良かったです」

 

技術以上に強く脳裏に刻まれたのが、生え抜き選手としての使命感だった。ヴェルディの黄金期を築いた永井監督にとって、“ヴェルディ再建”は現役時代からの悲願である。

 

「当時から、アカデミー出身者が(トップチームで)活躍すると、その後クラブを出て行ってしまう様子を見ていて、『この現状を変えられるのは、今残っているお前や(井上)潮音だから。もちろん、お前たちが活躍して出て行くのもいいことだけど、まずは、ヴェルディのことを本気で考えてほしい。お前たち若い選手でヴェルディを変えほしい」と、強く言っていたことが、澤井には一番響いたと言う。

 

だからこそ、ヴェルディを思う偉大な先輩たちの願いを胸に、ピッチに立っている。

 

そんな澤井に2018年、大きな転機が訪れた。クラブが業務提携を締結したフランス2部リーグ、ACアジャクシオへの期限付き移籍である。サッカーを始めた頃からヨーロッパでプレーすることを強く望んでいた23歳にとって、迷いは一切なかった。言葉の問題、生活習慣の違いなど、幾つものハードルはあったが、クラブが与えてくれたチャンスに真摯に立ち向かった。

 

「まず、フランス語の勉強はめちゃくちゃやりました」

 

渡仏して間もなく、海辺を走っていると、一人の日本人女性に声を掛けられた。

 

「澤井くん?」

 

テレビで見て、澤井がフランスに来たことを知っていたというその女性は、現地で通訳や翻訳の仕事をしていた。何度かお茶をする中で、「フランス語を教えてほしい」とお願いすると、快く協力してくれた。

 

監督やチームメートの言ってることで分からなかったことを書き留めて伝えたり、はっきりと聞き取れなかったことは「こんなニュアンスで言われた」と伝えることで、監督やチームメートから求められていることの理解に努めた。さらに、その女性は日常会話の先生にもなってくれた。「誰も教えてくれる人がいないと思っていたので、本当にラッキーでした」。その甲斐もあって初出場となった第19節のRCランス戦では初ゴールを決め、試合後のインタビューをフランス語で行えるほどまでに言葉が上達した。

 

また、人知れずこんな努力もした。

 

「向こうの人の性格や考え方は肌で感じないと分からないので、できるだけ一緒にいるようにして、溶け込もうとしました」。ピッチ内外、常にオープンマインドな姿勢で積極的に多くのことを吸収した。その中で最も痛感させられたのが、「生活のすべてを懸けてサッカーをしているという“熱さ”の表現のうまさ」だった。

 

「球際やゴールへ向かう姿勢、アイデア、迫力は、圧倒的に向こうのほうが上。でも、それ以上に刺激を受けたのが、練習での激しさでした。チームメートですが、ライバル。日本では、味方を削ってしまうと、削った側が罪悪感を抱いてしまったりしますが、フランスではそういう考えは全くない。良い意味で削り合っていて、もしケガをしたら、ケガをしたほうが悪い。悪質なプレーでなければ、どんどんチャレンジして、その上でゴールをみんなが意識するので、ああいう激しいプレーが生まれてくるんだと思います。一つひとつのプレーに対して本気で言い合いもするし、“なあなあ”な感じは一切ない。それをそのまま試合でも出しているので、見ているほうにもすごく伝わるんだということを学びました」

 

その環境に身を置く中で、あることに気が付いた。

 

「永井さんから聞いていた、黄金期のヴェルディのチーム雰囲気に通ずるものがあるのかなと。昔は、紅白戦とかがそういう感じだったと聞きました。やはり、強いチームになるためには、こういう部分が大事なんだと実感しました」

 

遠く離れたコルシカ島でも、恩師の言葉は常に“気づき”を与えてくれたのだった。

 

今年5月、心残りではあったが、帰国とともにヴェルディへの復帰が決まった。ところがそこで、またしても運命的な出来事が起こった。7月17日、“師匠”と仰ぐ永井監督がトップチームの新監督として就任することが決まったのである。

 

「ちょうど戻ってきたタイミングで永井さんがヴェルディの監督になるというのは、僕にとってはすごく大きなこと。監督と選手という関係は初めてですが、お世話になっている分、逆に厳しい目で見られると思うので、早く永井さんのサッカーを理解して、チャンスをつかめればもっと上手くなれると思うし、強いヴェルディの一員になれると信じています。このチャンスを絶対に逃したくはありません」

 

こうしてみると、周囲の人や環境など、幸運が次々に訪れているように見える。だが、それらはすべて澤井自身の努力と純粋な情熱、人柄が引き寄せた“実力”以外の何物でもない。この巡り合わせを、人生3つ目のターニングポイントにできるか、どうか。すべては澤井自身に掛かっている。