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2019.10.19

オフィシャルマッチデイプログラムWeb連動企画(10/16)安在達弥

第19回 安在達弥

 

 

『兄とは違う“サッカーエリート”じゃない道を選んだ理由』

 

文=上岡真里江(フリーライター)

 

ヴェルディのジュニア→ジュニアユース→ユースという経歴を持つ選手を、多くの人は“サッカーエリート”と見るだろう。

 

近年では、中島翔哉、安西幸輝らの海外移籍を始め、三竿健斗、畠中槙之輔、渡辺皓太が日本代表入りを果たすなど、同じ経歴を歩んできた選手たちが次々と世界を相手に活躍していることもあってか、その印象はより高まっている。小学生の頃からチームの中心に君臨し、年代別日本代表の常連。各世代で名のとおった存在として、常に注目を浴びてきた選手は少なくない。

 

だが、安在達弥は違った。同じヴェルディの生え抜き選手でも、真逆とも言えるサッカー人生を歩んできた。

 

二歳上の兄・和樹とともに地元のクラブチームでは中心的存在だった。その中でも飛び抜けたセンスを発揮していた兄に、コーチがヴェルディジュニアのセレクション受験を勧めた。合格した兄の試合を見るためにクラブハウスに足を運ぶようになったことが、ヴェルディとの出会いだった。

 

自身も受験対象の小学4年生になると、親から「受けたらいいじゃない?」と促されたが、「No」を選んだ。理由は、「落ちるのが嫌だったから。ヴェルディに入れるほどのレベルではないと、自分でも分かっていた」。力量のほどは、己が一番分かっているつもりだった――。

 

 

だが、あとになって、日に日に後悔の念が強まっていった。「やっぱり、受けるだけ受けてみれば良かったなあ……」。正直な気持ちを親に話し、(ヴェルディの)コーチに相談すると、何度か練習に参加させてもらえることになった。そして、加入が認められた。

 

「今思うと、逆に僕は、セレクションを受けなくて良かったかもしれないです。多分、受けていたら受かっていない。ああいう形だったから入れたんだと思います。それと、もう一つラッキーだったのが、僕が入る前はジュニアに6人しかいなかったということです。6人では試合もできない。7人になれば、なんとか試合ができたからというのも、入れてもらえた理由だったと思います」

 

しかし、いざ加入したものの、そこには想像以上の世界が待っていた。「こいつらヤベー。僕とは世界が違う……」。“言葉を失う”とは、まさにこのことだった。これまで足の速さを頼りにエースとして活躍してきた自分とは、明らかに違う。ヴェルディジュニアの選手たちのボール扱いのレベルの高さに愕然とした。「とんでもないところに入ってしまったと思いました」。周りのレベルに付いていけなくて、練習ではただ「自分が一番下手」だと痛感させられる日々。いつしか「やめたい」と口にするようになっていた。

 

そんな時、踏み留まらせてくれたのが、母の一言だった。「(ジュニアに入る前のように)クラブチームに戻って、また、お山の大将になりたいの?」。持ち前の負けず嫌い精神に火が点いた。「このままじゃ悔しいし、せっかく入れたんだから続けてみよう」。泣き言は一切捨て、必死で食らい付いていくことを決意した。

 

その成果は、すぐに表れた。昨日までできなかったことができるようになり、一度も勝てなかった一対一で勝てるようになった。そうしたちょっとした自分なりの成長がうれしくてたまらなかった。気が付くと、小学6年生の頃には楽しくサッカーをやっている自分がいた。

 

ジュニアからジュニアユース、そしてユースへと、カテゴリーが上がるたびに昇格可否のふるい分けが行われたが、「本当にギリギリのところで上がれたんだと思います」。いずれも通過し、無事、エリートコースから外れることなく高校3年生までを過ごした。「一番下手だった」と断言するほどだった少年が、3年時にはトップチームの練習に参加できるまでの実力を身につけられた。その秘訣は、何だろうか。「この高いレベルで日々練習できたことがすべて」。そう、23歳の生え抜きっ子は確信している。

 

もう一つ、今の自分に成長させてくれたのが、ユースからトップチームへの昇格を果たせなかったという挫折だった。3つ上の代から1つ上の代まで、毎年5人ほどの選手がトップチームに昇格していたこともあり、「他チームだったら話は別かもしれませんが、ヴェルディの場合はうまい選手は大学を経由せず、ユースからそのままプロになって活躍するというのが王道だというイメージがあったので、めちゃくちゃショックで悔しかったです」。

 

 進学した中央大学での1年目は衝撃だった。練習ではつなぐ練習をするものの、試合になると大きく蹴るサッカーへと一変してしまう。試合にはまだ出られなかったが、これまでヴェルディで当たり前として教わってきたことが当たり前ではないという状況を目の当たりにし、「これもサッカーなんだ……」と、とてつもないカルチャーショックを受けた。

 

 次第に、サッカースタイルも繋ぐサッカーへと徹底されるようになっていったが、今にして思えば、それも一つの大きな勉強だったと笑えるのは、周りのチームメイトたちに他ならない。同期には、柏レイソルユースからトップに上がれなかった上島拓巳、FC東京U-15からFC東京U-18に昇格できず、山梨学院高校に進学した渡辺剛などがいた。

 

「同じ境遇であり、みんな『古巣でプロになりたい』という強い気持ちを持っている選手がいたので、そういう選手たちと一緒に過ごせたことが大きかった」

 

互いに切磋琢磨することで、一度もブレることなく“プロ”への夢を追い掛け続けることができた。「最初はプロサッカー選手をやる上では、大学に行くことは遠回りだと思っていました。でも大学に行って、色々な人と出会い、それぞれ価値観が違うことを知り、多くのことを学んだことで、人間的に成長できたと思っているので、結果的には行って良かったです」と、胸を張って言える。

 

そして今年1月、4年前に一度は門戸を閉ざされた最愛のクラブに、“プロ”として戻ってきた。ルーキーイヤーの今季は、ここまでリーグ戦3試合の出場に留まっているが、焦りも諦めも一切ない。「これまでも、一番下という立場は何度も経験してきました。それを打開するには、日々一生懸命やり続けるしかないことも分かっています」。

 

もう一つ、安在にはどうしても活躍したい理由があるという。「ヴェルディに限らず、ユースからトップに上がれなくて、大学に行って、トップ(プロ)を目指している選手ってたくさんいると思います。同じ経験を持つ僕が試合に出て活躍することで、そういう選手たちも『俺も頑張ろう』って思えると思うんです。その目標になるようになれればいいなと思っています」。

 

不思議なもので、小学4年生の頃の安在が「こいつらヤベー」と閉口した秀才たちの多くが、今はサッカーを続けていない。プロとして生き残っているのは、『代表』や『選抜』などの肩書が何一つない頑張り屋さんなのである。「経歴なんか、関係ないんです」と、その努力家は目を細めて笑う。そしてあの頃の自分と同じように、周囲とのレベル差や挫折に悩んだり、苦しんだりしているかもしれないアカデミーの後輩たちに、こうエールを送った。

 

「ヴェルディにいる子たちであれば、ここは本当に、ものすごくいい環境なので、絶対にここで続けるべきだと思います。他のチームでやっていたり、中にはジュニアからジュニアユースに上がれなかったり、そういうこともあるとは思いますが、あきらめなければ、絶対にどこかでチャンスが来ると思います」

 

苦労してきたからこそ、人に与えられる夢や希望もある。その価値が、安在の歩んできた人生にはたっぷりと詰まっている。