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2020.05.02

YOUTHFUL DAYS~河野広貴ユース編~

 

多くのプロサッカー選手を輩出する、東京ヴェルディのアカデミー。

現在所属する選手のアカデミー時代を、秘蔵写真と本人の思い出コメントで振り返ります。

 

今回は、河野広貴選手のユース時代です。

 

2005年(第29回 日本クラブユース選手権 優勝、高円宮杯第16回全日本ユース選手権 優勝)

 

 

 

 

 

  

 

2006年

 

 

2007年

 

 

 

 

 

【河野広貴選手、アカデミー時代の思い出】

相模原(ヴェルディSS相模原ジュニア・Jrユース)の時は楽しく自由にやらせてもらえて、パスも出さなくていいし、ドリブルしていればいいみたいな感じでした。ボール回しでもパスしないでひたすらボールをこねてた。だから、ユース年代で本体の方に来て、結構苦労しました。

 

素走りもしたことないから俺一人だけタイム内に入れなくて、連帯責任で学年が怒られるから、また皆で罰走してました。ボール回しでもツータッチやワンタッチなんてしたことないから、すぐにボールをとられて鬼になって、鬼になると皆ワンタッチが上手くて全然とれなくてずっと鬼(笑)。めちゃくちゃ怒られるし、入ってすぐに2週間くらいさぼって近所で一人でサッカーをやっていました。

 

本体に行かせてもらったし親に辞めるとはなかなか言えなくて…。戻ってからはボールボーイからスタートして、たまたま試合で使われた時に点を取ってから認めてもらって、そこからトップの練習参加までは早かったです。僕も覚悟を決めてここに来たから、そこは必死でしたね。ただ、今思えば、相模原でひたすらやったことが自分の武器になったから、相模原で学んだことは良かったんです。

 

やらかした話? もうキリがないくらいありますよ。チームのルールで髪の毛も染めちゃだめなのに試合の日に染めて行って、コーチから3点とったら許してやると言われたけど2点しかとれなくて、結局連帯責任でみんな坊主だし、僕自身はユースの3年間坊主でした(笑)。

 

■河野広貴選手 選手ページ