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2020.08.09

緑の分岐点 山下杏也加選手編

 

「生来の運動神経と“負けず嫌い”に導かれる頂への道のり」

 

「絶対に入るだろうな、というシュートを止めることが一番の醍醐味です」

 

山下杏也加は相手が強いほど燃える。佇まいで威圧し、卓越したプレーで流れを引き寄せる。

対空時間の長さを可能にするしなやかな筋肉は、バスケットボール選手だった母譲りかもしれない。FWからGKに転向したのは村田女子高校1年生の時。練習で課される走り込みが苦手で、サッカーが楽しいと思えず、卒業したらやめようと考えていた。「GKは走らないイメージがあった」ことで引き受けた。

目の色が変わったのは、2年生の時に代表GKを育成する「スーパー少女プロジェクト」に参加してからだ。

 

「自分より背も技術もある選手たちに刺激を受けて、高校生活をかけてもいいと思えました」

 

翌年U-19代表に選ばれ、目標はさらに高くなった。ポジショニングやコーチングなどの技術、味方の信頼感。GKの奥深さを知って練習が楽しくなり、男女問わず実力ある選手を観察し、GKコーチに相談して反省と収穫を積み重ねた。

ベレーザの強化指定選手になったのもその頃だ。

 

「有名な選手もいたし、最初は怖くて。でも当時GKコーチだった沖田(政夫)さんからボロクソに言われたことでスイッチが入り、負けず嫌いなので『他の選手より上手くなりたい』と思い、スタメンを目指しました」

 

卒業後にベレーザに入り、正GKの座を掴んだのは翌2015年。その年からチームはリーグ5連覇。GK転向からわずか4年でフル代表にも初招集された。生来の運動神経と強烈な負けじ魂が導いた道の先には、より刺激的な世界があった。

 

 

「一番影響を受けたのは海堀(あゆみ)さんです。怖そうに見えて年下にもすごく優しかった。プレーが似ていたこともあり、この人を超えたいと思いました」

 

新たな覚悟が芽生えたのは、16年のリオデジャネイロ五輪予選。代表で最年少の20歳だった。

 

「みんなピリピリしていたし、自分の存在理由も分からず悩みました。その時、宮間(あや)さんと福元(美穂)さんが話を聞いてくれて、『これからはヤマが代表キーパーを引っ張っていかないといけないよ』と。その言葉は心に刺さりました。予選で負けてサポーターの方たちから厳しい声をかけられた時、『(この状況を)なんとか変えていかないと』と思ったんです

 

 最大の強みと自負するビルドアップに磨きをかけ、今季も永田雅人監督の下で新たなテーマに挑む。

「1対1やハイボールに強くなること。失点も去年より少なくしたいです」

 世界で勝てるGKを目指して。日々研鑽を積み、山下はなでしこのGK像をアップデートし続けていく。