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2020.11.03

緑の十八番 山本理仁選手編

マッチデイプログラム企画『緑の十八番』

山本理仁 選手

文=上岡真里江(フリーライター)

 

『小刻みにパスを出し入れしながらつないで崩す』。これは「ヴェルディらしさ」を表す特徴のひとつであり、実際にチームには足元の技術に長けた選手がそろっている。だが、その王道スタイルの中で、山本理仁はまた一味違う。

 

ショートパスだけでなく、サイドチェンジなど広範囲にボールを散らし、ピッチを大きく使った攻撃を生み出す。「状態が良い時は相手のサイドバックまで見えている」。自身の調子のバロメーターにもなっている「ピッチの遠いところまで見渡せる視野」こそ、山本ならではの最高の武器だ。

 

そのセールスポイントが身につき始めたのは、ユースチームで永井秀樹監督の指導を受けるようになってからだ。ジュニアユースまでは他の選手と同じように、局面で崩し切ることを最優先にプレーしていたという。だが、高校1年生なり、新たに就任した永井監督から「逆を見ろ」と言われたことで、初めて意識するようになった。

 

1年生の頃は、まず「サイドチェンジ」を意識しながらやっていた。ポイントとして「奥を見ろ」との助言を受け、練習でも奥に蹴っていると、ある気付きが生まれた。

 

「僕がモーションに入った瞬間、相手のサイドバックが蹴ろうとする方向に体の向きを変えることがあって。その時に、ウチのフロントボランチがフリーになるのが、より見えるようになったんです」

 

そこから、同じサイドチェンジでも、「一番奥がいいのか、その一つ手前がいいのか。どちらに出すのが、より相手が嫌がるのかということを考えて蹴り分けられるようになっていきました」。今では、本当に状態がいい時は、相手のサイドバック、味方のフロントボランチの位置、体の向き、数的状況などが一瞬ですべて見られるほどまでになった。

 

その展開力を永井監督も非常に高く買っている。

 

中断期間中に長期離脱していたこともあり、本職とも言えるリベロの位置には主に同級生の藤田譲瑠チマが起用されていたが、7月の復帰後は対戦相手や状態によって代わる代わる使われている。

 

その中で永井監督は、「理仁、ジョエル、それぞれに良いところがある。自分の良さを出せばいい」と諭し、同じことをしようとするよりも、それぞれが持つ特長を存分に生かすことの重要性を説いたという。

 

特にプレッシャーが早い相手には、長いボールが有効だ。サイドに散らすボールを織り交ぜることで、中央での縦パスを活かす山本のストロングは、これからもチームの武器としても重宝されていくだろう。

 

山本のもうひとつの魅力は「決定的なパスを通す感覚に優れている」(永井監督)ところだ。9月頃からリベロと同時に、一列前のフロントボランチでの起用も増え、そのセンスがより引き出されるようになった。もともとユース時代のメインポジションだっただけに、求められるタスクは熟知している。

 

「ゴールに結びつくプレーを求められるので、スルーパスを出せるスペースを探すこと、自分のパスでよりゴールに近づくことを意識してやっています。アンカーだと、ミスしたら失点というリスクがあるので、五分五分の場合にどうしても縦パスを入れるのが難しくなる。でも、一列前だと、勝負パスが積極的に出せるし、シュートの選択肢もある。その中で、スルーパスという自分の持ち味を出したいと思っています」

 

ピッチの遠くまで見渡せる視野やそこに正確なパスを出す技術が備わったのは、ヴェルディのアカデミーに入ったおかげだと確信している。自身のプレースタイルの原点については次のように話している。

 

「ヴェルディジュニアに入るまではドリブルしかしてこなかったんです。地元の少年団では周りがあまり上手くなかったこともあって、スピードも一番だったし、ひとりで全部抜けたので。でも、ヴェルディジュニアのような強いチームに入って、パスを回す楽しさを知りました。もともと、バルサ(FCバルセロナ/スペイン)のようなパスをつなぐサッカーは好きだったので、同じイメージを持った子たちの中でやることがすごく楽しくて、そこから今のようなプレースタイルになったのかなと思います」

 

パスを出せば、それを正確に受けて、自分と同じ思考でボールを動かしてくれる。技術、イメージを共有できるチームメイトとの出会いが、今の『山本理仁』の始まりなのだ。

 

今にして思えば、すべてが運命だったとさえ思える。ヴェルディジュニアに入るまでは、3つ上の姉の友達と毎日サッカーに明け暮れた。ジュニアに入ってからは、常に上の世代の試合にも出ながら、高校2年生でトップチームとプロ契約。そんな環境下でも、気後れすることなく堂々と勝負してこられたのは、幼少期から自分より強い相手に挑む環境を作ってくれた父親の教育方針のおかげだ。

 

また、「唯一の挫折」として今も忘れることのない川崎フロンターレのセレクション不合格。小学4年生進級時に負ったこの屈辱も、ドリブルが主体だったフロンターレジュニアに入団していたら、「今とは全然違うプレースタイルになっていたんじゃないか」と考えれば、ヴェルディだけに合格したことは、むしろ幸運だったのかもしれない。

 

「ヴェルディに来て本当に良かった」

 

ヴェルディのアカデミーで育つ中で、U−15の頃から世代別の日本代表に選出され、国際試合など世界を経験してきた。永井監督から、「ヴェルディから世界へ」との思いを託される逸材だけあって、当然ながら未来予想図には“世界”が描かれている。だが、それはもう少し先の話。

 

「今はこのチームで結果を出して、試合に出続けるということが一番大事。それがいつか良い方向にいけばと思います」

 

将来の夢は「ワールドカップとチャンピオンズリーグ、どちらにもチームの中心として出たい」。

 

まだまだ未完の18歳。

 

その未来は、どこまでも限りなく広がっている。