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2020.04.05

緑の分岐点 高橋祥平編(後編)

 

「ヴェルディに帰ってこれて、マジでよかった」

(後編)

 

文=上岡真里江(フリーライター)

 

前編はこちら

 

ジュビロ黄金期の象徴的存在であった稀代のレフティー監督から学ぶサッカーは、新鮮で、とにかく楽しかった。

 

「守備の仕方やゲームを作る部分、特にビルドアップのところの考え方が変わった。サッカーは守備的なのですが、だからこそ逆に、攻撃、カウンターの質を高めなければいけないとか、守備だったら守備、攻撃だったら攻撃という、すごく割り切りがあった。自分の中に、どんどんレパートリーが増えていくのが実感できました」。

 

自身のサッカー観の変化と成長への手応えを感じるとともに、チームもJ1リーグ戦6位(2017年)と躍進を遂げ、最高に充実したシーズンを過ごすことができた。

 

「名波さんと巡り合えて、ジュビロに行けて本当に良かった。ヴェルディと対を張るぐらい、なんなら、ヴェルディを超えるかもしれないぐらい、ジュビロが好きになりました」。

 

結果として、2019年6月30日の名波監督退任、新体制下での出場機会激減を受け、契約を1年残してヴェルディへの期限付き移籍となったが、サックスブルーへの熱い思いを、次のように語っている。

 

「ジュビロには本当に感謝しているし、恩があるので、それを返したいのですが、今のチーム事情では残念ながら返せない状況にあると思います。ただ、またいつか、必ず恩返しに戻りたいと思っています。僕の中で、ヴェルディ以外に好きなチームを選べと言われたら、絶対にジュビロ。黄金世代の選手の集まりで、選手と同じ気持ちになってくれて何でも話ができ、アドバイスにしても、『こういうやり方も、1つ入れてもいいんじゃない?』という感じで、一切無理強いしない感じの監督、コーチが揃っている名波監督体制のジュビロが本当に好きでした」。

 

その一方で、前述の通り、ヴェルディを離れた2013年から、「『今だ』というタイミングで戻れれば」と思い続けていたのも事実。

 

このタイミングでの古巣復帰に、「今がそのタイミングだった?」と尋ねると、「ヴェルディからオファーをもらった時には、即決でした。でも正直、ここまでいろいろ変わっているとは思っていなかったのですが、これから自分の中で『今だった』と思えるようにしていかなければいけない」との包み隠さぬ答えが返ってきた。

 

とはいえ、永井秀樹監督の新たな巡り合わせによって、また1つ、サッカー選手として新境地が開けそうな予感がしている。

 

「永井さんのサッカーは、楽しい分、ものすごく頭を使うので難しいですが、あそこまで芯を通し、ブレずにやっていける姿勢には心から尊敬しています。徹底的に理想を追い求めているので、そこに対して逆算して、『どこをどうやっていかないと』とか、『こう動かなきゃ』など、僕らもしっかりと考えて、応えなければいけない。そのために、僕自身がサッカー選手としてまたもう一皮、二皮剥けないと、厳しいなと思っていますし、だからこそ面白いなと思います。新たなチャレンジです」。

 

 

8年ぶりに故郷に戻り、サポーターからの「おかえり」の言葉に、「超嬉しいですよ。俺のためにそんなことを言ってくれるサポーターなんて、ヴェルディぐらいしかないし。ヴェルディに帰ってこれて、マジでよかったなと思います」と、ただただ感謝しかない。

 

21歳で愛するクラブを離れてから7年間で得た経験の中で、「プレー面で大人になったところを見て欲しい。昔みたいに、喧嘩っ早く自分から行ったりは、もうしない。今は『サッカーで勝ちたい』というのが一番です」と、精神面での成長を強調する。

 

28歳となり、すっかり落ち着いた印象を受ける高橋。約10年前、通信制の高校に通っていた頃、当時のユース監督に漢字の四字熟語の課題を見せた際、あまりの珍回答に大爆笑されていたヤンチャ坊主の面影はもうどこにも見当たらない。

 

それでも、プレースタイルに関しては、今なお理想は高校時代から陶酔する土屋征夫氏を理想としていることに1ミリの変わりもない。

 

「僕にとってバウルさん(土屋氏の愛称)は選手としても、人間としても神です。一人いるだけで安心感があるようなDFって、サッカー界の中でもあまりいないと思う」。

 

 

今でも忘れられない教訓がある。前回のヴェルディ在籍時、土屋氏とセンターバックでコンビを組んでいた試合で、ゴール前で決定的ピンチをコーナーキックへ逃れる形で回避し、チームを救った。だが、そのプレーで足を痛め、治療のためにピッチ外へ出たことに対し、同氏から激怒された。「DFとして、守備時のセットプレーにピッチを離れるなんて、例え骨折したとしても絶対にあり得ない!」。

 

そして翌年、全く同じと言えるシチュエーションが訪れた。その際、実は本当に骨折していた。

 

それでも、「あり得ない」と言われたセットプレーでDFが失点機会阻止を放棄することだけは意地でもしまいと、ピッチに立ち続けたのである。

 

「そんなこともありましたね。あらためて、上の人から教えてもらったことって、貴重だなと思うんですよね」と、本人も原点回帰する。「バウルさんとは、J2で一緒にやっていましたが、個人の能力的には今でも1つも敵わない。だからこそ、チームとして結果とかカテゴリーとかで抜けないと、勝てないと思う。でも、なにかしらで勝ちたいから、絶対にヴェルディでJ1に上がって、その中で安定したプレーができるようにしたい」。

 

だからこそ、『東京ヴェルディでのJ1昇格』こそが、唯一無二の最大目標なのである。

 

今年1月、羽生社長は新体制発表の壇上で、次のように話した。

 

「個人的なことを言ってはいけないかもしれないが、一つ言わせてください。高橋祥平は今年、ジュビロから戻したんです。2010年に私が来た時、このクラブの状況が悪い中でスタートせざるを得ませんでした。そして私が彼に『このクラブのために出ていってくれ』と頼みました。いつか必ず、このクラブに呼び戻すからと約束をして、外に出しました。30歳になる前に、一番パフォーマンスを発揮できる年に(高橋を)戻せるというのは、私にとってはうれしいことです。クラブがここまで少しは成長できたのかなという思いもあります」。

 

この言葉にこそ全てが詰まっているように、髙橋の獲得は、泣く泣く放出した2012年以来、再建・発展を目指してきたクラブの成長の何よりの象徴といえよう。

 

「約束を果たしてくれた社長には、感謝しかない。俺は、義理堅い人は大好きだから」。

 

8年越しに、男と男の約束は果たされた。今こそ、恩義に報いる時。7年間の武者修行の成果を『J1昇格』という結果で証明してみせる。

 

 

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